当事者消費をやめて

コラム

当事者消費とは何か

性被害当事者や、事件当事者。被災当事者だけでなく、性売買当事者、ホームレス当事者、貧困状態の当事者など、当事者を取材したい、知りたい、寄り添いたいといった名目で近づいて、聞き出すだけ聞き出して、取材側の思惑、思いでまとめる…そういった当事者を一方的な思いで消費する態度のことです。

そしてこれは、当事者が女性である場合に限って頻繁に起きることかと思います。

報道する人たちにも一部いらっしゃいますが、一般の人にまで、一方的に話しを聞き出せると勘違いして聞き出そうとしてきたり、被害者にも非があったのだろうとかジャッジできるといった勘違いもしています。無自覚なのかもしれません。

「消費する」とは、

①性的消費のため。性的な興味本位も含む。

②持論展開のため。

③可哀想、可哀想、と憐憫にひたるため。

といったものが挙げられます。

性的消費のための当事者消費

「性暴力事件の時だけ、独特な雰囲気のおじさんたちが傍聴に来る」という噂を聞いたことがないでしょうか。

女性で、実際の性被害事件に対して性的な妄想をする人はあまりいないかと思いますが、その通りで、性被害事件は何も性的に興奮する要素はないのです。

性被害事件の被害者側には何も性的に興奮する要素はないのです。

交通事故に遭って顏を整形しないといけないほどの怪我をしたときや、

強盗に遭って首を絞められて首まわりに手の跡がつき脳しんとうを起こしたときのように、

死の危険に見舞われ自らの健康と尊厳が奪われたときに、性的な喜びはありません。

そればかりか性的なもので危険を伴うので、一気に性的興奮から遠のきます。

トラウマの再現を繰りかえしてしまう人はいますが、性被害を思い返して「アレは素敵な体験だった」などと思う人を私は知りません。

殴られることや尊厳が奪われることに性的興奮をすると言い出す人は、実際の性被害事件を知らないか、性被害のトラウマの再現をしようとしているのかもしれません。

ですが、それをわからない一部の男性たちは、性被害事件に自分の性的なファンタジーを重ねて、傍聴するのです。これはわかりやすい性的消費の例です。

一部の男性には、女装して、女子高生などになって、激しく犯されたいといったファンタジーを持ち、女装して路上に寝る姿や、多目的トイレで卑猥な姿の自撮りを上げる人たちがいますが、
(屋外や公衆トイレの性表現は公然わいせつ等犯罪にあたりますので自宅など密室でお願いします)

何か自らが女性として?激しく犯されたい願望に重ねていらっしゃるのかもしれません。

理解はできませんが、自分自身を使って妄想すること、妄想することじたいは悪いことではありません。

その妄想を、ほかの人に摺り付けないでほしいのです。

自らの妄想を他人に摺り付けてしまっている状態が、当事者消費です。

持論展開のための当事者消費

援助交際報道しかり、パパ活報道しかり、ですが、

「今の女子〇生はこんなにライトにおじさんと性的なお付き合いをしてくれる。〇円くらいで」(援助交際の言説)

「今貧困女子は生活のために売春をする。〇円くらいで」(貧困女子パパ活の言説)

といった、取材=実際にそういう子(女子児童)がいる、だから世の中それがまかり通るのだと、世論誘導に持っていこうとする記事もありました。

実際にそういう当事者がいることが、その事態が正当化されることではありません。

「援助交際」という言葉の流行で、女子学生というだけで知らない高齢男性たちから性的な目で見られたり、不快な性消費をされた女性は少なくありません。

援助交際という言葉を流行らせたのは、メディアによる女子児童へのヘイトクライムでもありました。(今でも総括が必要です。総括とは、落とし前をつけるということです。)

憐憫にひたるための当事者消費

これもまた一部男性にいるのですが、可哀想な女性だったら、自分でも相手にされると勘違いするのか、当事者が求めていないばかりか嫌がられているのにそれも気づかず、

可哀想だ、力になりたい、寄り添いたい、と目をウルウルさせて近づこうとします。

可哀想な女性を守っている自分が騎士のようにキラキラして感じられる、独特のヒロイズムを持っていて(自分大好きな人に多いそうです)
当事者の心配をしたり、寄り添うと、とても気分がいいのだそうです。

ですが、客観的にはそういった自慰的な消費は、わかります。

わかるうえに…、不快に感じられます。

これをわかっていただきたいのですが、気色悪いと感じます。

自分のファンタジーを他人に押しつけている状態は、相手や周囲からすると気色悪いものなのです

自覚していただくよりほかに手だてがないのです。

女性を見るとき、女性もまたあなたを見ている

このコラムを書いている私は、何らかのトラウマを抱えるような性被害当事者ではありません。

露出魔に遭遇したことが何度かあります。最後に遭遇した露出魔を撮影しようとして、露出魔の慌てふためいて逃げる姿を覚えていますが、不思議なものでその人の露出した局部のことは覚えていません。

性的消費をする人の視線は、ストリップ小屋の男性客や、露出魔、ドン・キホーテの深夜アダルトグッズまわりに居てカップルを覗き見する「出歯亀おじさん」に似ていると感じたことがあります。
(露出魔は見せる行為ですが、女性の反応を必死で見ようとしているか、性的に興奮しているので、目をギラギラさせているように見えます。)

男性も、男性からの覗きや痴漢などの性被害にあうととても気持ち悪いと感じる人がいるそうなので、男性にもこれが伝わったら嬉しいのですが、独特な雰囲気です。

私が記者会見に出席したとき、次の会見のために集まっていたカメラマン風の取材の男性が、自身のスマホで私たちの姿をパシャリと撮影し、私と目が合いました。

「おじさん!それ!それだよ!」と当事者消費について考えていた私は声をあげたいくらいでした。

その写真はどこかに載せるものではありませんよね?個人的な何かで撮影しましたよね?

そのギラギラした目つき、それですそれ!

当事者消費おじさんを見つけた私は喜々としてそのおじさんを見ましたが、おじさんは恥じたりうろたえたり悲しそうにする女性を期待したのではないでしょうか?それですそれ!

性被害当事者に配慮してください

性被害当事者には、特に心無い視線を向けられることがあります。

性被害当事者を高圧的に責めるような態度を取ったり、自分に立ち入って話しを聞く権利があると誤解していたり、性的に立ち入る事ができるかのようなファンタジーを持っていたり、第三者から見ると、私から見ると、一部の男性および名誉男性は性被害当事者に対峙したとき突然態度が豹変するのです。

ブキミです。意味不明です。どうかしています。気が付いてほしいのです。

おかしな性的なファンタジーは表に出さないでほしいのです。

以下2016年に被害当事者が制作した「性暴力取材のためのガイドブック」についての記事を載せておきます。

【性犯罪報道】何を報じるのか、報じないのか。記者の葛藤とこれから(小川たまか) - エキスパート - Yahoo!ニュース
■被害当事者が制作した「性暴力取材のためのガイドブック」12月中旬の都内で、ある小規模な集まりが開かれていた。「性暴力と報道 対話の会」。性暴力被害の当事者である山本潤さんらが2015年から始めた会だ
性暴力被害取材のためのガイドブックの紹介(作成:性暴力と報道対話の会)
今回ご紹介するガイドブックは、「性暴力と報道対話の会」ー2016年3月から性暴力被害当事者と報道記者を中心とした対話の会ーから生まれたものです。  SIAb.はミーティング活動の他に、SIAb.プロジ

https://siab.jp/heart/wp-content/uploads/2016/12/2016_12_01_b.pdf

事件を裁くのは裁判であり、憶測で話す一般人ではありません。

事件や当事者が話していることが真実か否か以前に、被害者を責める言葉をかけるのは、それだけでセカンドレイプにあたります。

なぜ性被害だけ矮小化したがったり、疑いたがるのか、胸に手を当ててよく考えてほしいのです。

男性を見つめるときが来ています

性加害問題を取り扱うとき、AVなどの性表現を語るとき、常に女性を客体にして女性のせいにしたり女性を消費してきた男性社会ですが、そろそろムリがきています。

「男性たち」だけでなく、男性社会に適応してきた女性たち…「父の娘」だったからか「名誉男性」として生き抜き役職を得てきた女性たち…役職のあるメディア関係者や法曹界にいる女性たちも、正義の名のもとに、被害当事者を踏んでいます。

被害当事者はゴム人形でなければ藁人形でもなく、人間です。

性の問題を扱うときに、性欲で主導している側である「加害者側を」…「男性を」見つめるべきときがきています。

(長谷)

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